今冬は、雪がほとんどなくてしのぎやすかったのですが、1月12日の夕方から急に雪になり、今は30センチの積雪です。
今回は、私の子供のころの行事のことを書いてみたいと思います。正月三が日が過ぎても、1月はいろいろな行事がありました。
1月9日は「山ノ神」といい、この日は誰もが山に入ることができません。各家々では小豆ご飯を炊いて山ノ神にささげ、春からの山の作業の安全を祈りました。
1月14日はいろりで若木を焚きました。その若木は、この日の朝早くから山へ出かけて、生乾きの薪を切りとってきたものです。この火で温まると、1年間無病息災で暮らせるとの習わしです。ちなみにこの日の薪とりは、集落の誰の山で取ってもおとがめなしです。
この日は、餅もつきます。この餅で梅の花や稲穂を作り、1月18日に飾る「まいだま(繭玉)」の材料とします。この餅は「二場餅」といいます。この日までに、昨年の暮れについた餅がなくなるからです。
1月15日は「歳の神」です。
子供たちが、朝早くから家々を回り、孟宗竹や稲わらや大豆の殻や杉の葉等良く乾燥した燃えやすい材料を集めて、歳の神をつくります。大きい集落では、全部子供だけでつくります。
そして正月に飾った門松や、前の年に飾った〆縄、子供たちの書き初めや祈願に使った達磨などをくくりつけます。大きい歳の神は4~5メートルもの高さになり、他の集落とできばえを競いました。
暗くなるのを待って、歳の神に火を着けるのは、この年の干支に当った人の役目です。今年は丑年の子供から大人までが火をつけました。
火が収まると、角もちやスルメを焼いたり、参加者同士で顔に炭を塗り合うなどにぎやかになりますが、いずれも村人の健康を祈るためです。写真に写っている参加者が手にしている棒は、先に細い針金が1メートルほどくくり付けてあり、餅やスルメを焼くためのものです。
またこの日は「薮入り」でもありました。昔は、お嫁さんが婿さんを連れて実家に帰り、行事に参加しました。嫁ぎ先で馬車馬のように働いていた若いお嫁さんが、お盆と正月の薮入りには、誰にでも気兼ねすることなく、骨休みができる日でもありました。
こうやって昔の様子を思い出してみると、どれも雪景色の中の行事でした。冬は、雪が多いのが当たり前でした。
しかし、10年位前から雪が少なくなり、つららも滅多にできません。1月に雨が降るなんてことは、以前は絶対にありませんでした。地球の温暖化がどんどん進んでいる事を証明しているのでしょう。おかげで冬はしのぎやすいですが、よろこんでばかりはいられません。
さて、今年から健菜米の生産者が集まっている永田研究会では、田んぼの生き物調査を細かくする予定です。吉川もトキが住めるような環境にあるかを調べます。
うまい作物をつくることも大事ですが、これからは環境のよさを消費者に訴える時代になると思っています。
永田先生にお会いでき、色々教わったことが、20年経った今やっと分かってきたようにも思います。農業の明日はバラ色ではありませんが、楽しんでやれば大変におもしろいと思っています。仲間と集いながら(すぐ後期高齢者になりますが)体を大事しながら春を待ちます。
(1月15日)
※歳の神に参加した中嶋さん夫婦と2人のお孫さん
※歳の神に火をつけ無病息災を祈る
※餅やスルメを残り火で焼く集落の人々