春が旬!  大玉すいかの産地を訪ねる

熊本市植木町に、年々、たくましさを増す生産者がいる。
父の職人技を継ぎ、さらに味を進化させている。

 内田智浩さん(42歳)は、熊本すいかの生産者だ。熊本市植木町、金峰山の山麓にある農園を訪れたのは、昨年の4月17日。折しも、2016年4月14、16日に発生した熊本大地震から1年目というタイミングだった。
「あの時は怖かったですね」
 そんな内田さんの言葉から取材は始まった。
 地震で自宅が半壊し、余震を恐れた一家は、車中で10日間、寝泊まりしたという。けれど、農園の作業は一日たりとも休むわけにはいかない。花付け(受粉の作業)が必要なハウスもあれば、収穫適期を迎えたすいかもある。断水のために風呂には入れなかったが、汗みずくになりながら、家族でいつものとおりの農作業を続けたのだった。
「僕だけじゃありません。生産者はみんな必死でした」

 内田さんは地震の2日後には、すいかの収穫と出荷を再開。その後、健菜俱楽部のお客様にも予定どおりに注文品をお届けすることができた。
「健菜のお客様の中には、シーズンを通して、毎週1個ずつお届けする方がいるのですが、そのリクエストにも滞りなく応じられて、ホッとしました」
 もちろん、そのおいしさはいつもと変わらなかった。



就農時の約束

「でも」と内田さんは言う。
「『いつもと同じおいしさ』は、僕にとっては最低ライン。もう一つ上を目指さないといけないと思っています」
 それは、就農した16年前に自分で決めたことである。植木町はすいかの名産地であり、父親は高品質のすいかをつくる人物として知られていた。ところが、出荷後は他の一般栽培のものに紛れて、驚くほどの安値に泣くこともしばしば。だから、内田さんは父の職人技を引き継ぐと同時に、「あなたのすいかが欲しい」と消費者に指名される生産者になろうと心に決めたのである。
 健菜倶楽部への出荷は、目標実現の第一歩だった。

いかついすいか

 内田さんは1年に1作、1株に1果だけを栽培する。化成肥料は使わず、緑肥(栽培した草を畑にすき込む方法)を利用。冬の低温を活かして、ゆっくりと果実を太らせ、玉まわしで太陽の光をまんべんなく当てていく。品質を左右する水管理が細やかなのは言うまでもない。
 この日、ハウスでは5〜6キロの大玉に成長した果実が、収穫の時を待っていた。その一つを取り上げると、パンと肩がはり、お尻がキュッと締まってへこんでいる。
「良いすいかは、まん丸じゃありません。こんな風にややいかつい。縞模様も黒くはっきりしています」
 一方、果皮は黄色みを帯びていてやさしい印象だ。
「それがいいんです。肥料過多だと、葉も果実の果皮も濃い緑色になってしまう。黄色っぽいほうが果実は健全です」

 その果実の糖度を測ると中心部分で12度、外側でも11度を示した。収穫・出荷を予定している5日後には、13度に達するはずだ。熊本すいかの基準である10・5度を軽くしのいでいる。
「しかし、甘いだけじゃだめだ」と内田さんは言う。
 包丁を入れたときにプ〜ンと立つ良い香り、爽快なシャリ感、あふれでる果汁に粘りがあり、カット後も果肉に留まっていること等々。それらの「おいしい要素」が高いレベルで調和していることが、内田さんの目標だ。
 さて、間もなく、すいかの季節が到来する。内田さんは、昨年を超えるおいしさに達しただろうか。楽しみに待ちたいと思う。

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