目を疑った。
この、どこにトマト農園があるのだろうか? 目の前にあるのは、ざっくりと山肌を削られた砕石場だ。垂直の崖下では、ダイナマイトで爆破されたと思われる石が小山をなしている。ポカンとそれを眺めていると、目前を大型ダンプが通り過ぎて行った。植物の気配はない。
「レンタカーでは登れんから、車ば替えんとね」
案内役の元田矯さん(86歳)はそう言うと、採石場の看板がかかっている事務所に入り、矢竹俊輔さん(40歳)を伴って出てきたのだった。
矢竹さんの四駆で一気に道なき道を登り切ると、突然、ハウスが出現。甘酸っぱい完熟トマトの香りが漂っている。こんなところに農園があると、誰が想像できるだろう。
「どげんですか」
元田さんが差し出したのは、収穫したばかりのファーストトマト。生命力が勢い余って爆発したかのように大きく、荒々しくねじれている。元田さんが、「見学に来て」と言っていた理由はこれだった。暴れん坊トマトが健菜倶楽部を待っていた。
元田さんは、「長崎のトマト栽培にこの人あり」と知られる人物。昭和61年に炭鉱の閉山が決まった高島に、トマト栽培を根付かせたのは、三菱鉱業セメント(当時)の社員だった元田さんだ。
長崎半島の西沖合に浮かぶ高島は、炭鉱開発の拠点だっただけに、閉山後の島に何らかの産業を興すことは、いわば三菱の恩返しだったという。
社命を受けた元田さんは、永田農法に注目し、健菜倶楽部顧問の故・永田照喜治氏の協力を得て、トマト栽培を軌道に乗せた。そのトマトは健菜倶楽部の主力商品となり、高島での栽培の様子は本紙でも紹介してきた。
一方、元田さんを師と仰ぐトマト農園が長崎には何カ所か生まれている。中でも、最近、力を入れているのが、ある会社の社内起業であるこの農園だという。なぜだろう。
「土と気候がよか。昼夜の寒暖差が大きい」と元田さんは言う。矢竹さんが「土は赤土。農園の海抜は200メートルな
ので、海に近い下の事務所では雨なのに、ここはみぞれが降ることもあります」と補足してくれた。
栽培法は永田農法の基本に忠実だ。化学肥料は使わず、水管理を徹底。トマトは密植せず、海風が通り抜けていく。ハウスの周囲の地面をコンクリートでおおっているのは、雨水の浸入を防いで、水分を極限まで減らすためだ。
「ここは、人間もよか」と元田さん。
残念ながら取材に立ち会えなかった栽培責任者は、元Jリーガー。5年前からトマト栽培一筋の毎日を送っている。上司である矢竹さんは、その様子を「妥協せず、一途にいいものを作ろうと極める姿勢は、プロスポーツと通じるものがある」と語る。じつはその矢竹さんも、前職はJリーグのコーチ。古い農業の常識にとらわれない人たちが、トマト栽培に取り組んでいた。
しかし、この農園のトマトには欠点がある。
ファーストトマトは、形や大きさ、食味を一定に揃えることがむずかしい品種だが、その特性がコントロールしきれていないのだ。大玉あり、極小あり、糖度も安定せず、まるで調教前の暴れ馬のように、好き勝手にふるまっている。
だが、欠点は長所にもなる。例えば、大玉は完熟すると旨みが強まる。
ねじくれた形は、一般の流通では規格外扱いされてしまうが、ファーストトマト好きには魅力でもある。糖度を8〜9度で安定させることができたら、欠点を長所に変えられるかもしれない。
「まだ、健菜さんに扱ってもらうには10年早いね」と元田さんは言う。もし、故・永田照喜治氏が見たらなんと言うだろうか。暴れん坊トマトを面白がり、その個性を活かしつつ、手なずける極意を教えてくれるかもしれない。
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