「笑ってください」
農園の馬渡さん一家に向かって、カメラマンが声をかけた。
「そんなら、あっちば見な、いかんばい」
そう言って馬渡重幸さん(68歳)が指さした方向には見事な景色が広がっていた。丘陵の畑は若やいだ緑と赤土のコントラストが美しく、諫早湾は春の光を反射している。彼方に霞んで見えるのは、多良岳だ。
「こん(この)景色ば、見ているとだれでも自然に笑顔になるでしょ」
重幸さんの言うとおりだ。周囲を眺めていると心が晴れやかになっていく。そんな感想を告げると、一家3人が揃って「うんうん」とうなずいた。
「私たちはこの自然のおかげで農業をしている。『自然にお返しをしなければならない』というのが父の口癖です」と息子の孝浩さん(38歳)は言う。
馬渡農園を訪れたのは4月15日、にんにくの収穫まで約1カ月というタイミングだった。試しに株元から引き抜いてみると、直径5センチほどに成長した球根(鱗茎)が現れた。独特の甘くて刺激的な香りがわずかに漂う。もう食べられそうだ。
「まだ小さか。でも、これからどんどん変わるよ」と重幸さん。
にんにく栽培は、種球(繁殖用の球根)を植えてから収穫まで、10カ月間もかかる。馬渡農園では前年の9〜10月に種球を植え付け、その後は「草取り、草取り、また草取り」(重幸さん)をしながら、4月を迎えた。これから、トウが立ち始めるが、花が咲く前にその花茎を折り取っていく。「にんにくの芽」とは、この花茎のことだ。
この頃、地中の根が土をがっしりと捉えるたくましい根に生え替わり、球根は栄養を蓄えて大きく成長する。そして糖度を高め、旨みを増していく。
栽培しているのは「平戸」という珍しい品種だ。国産にんにくの品種は、青森、北海道などで栽培されている寒地系と、四国や九州に多い暖地系に大別される。初夏に旬を迎える暖地系は、小粒でりん片の数が多いが、糖度が高く鮮烈な香りを放つ。見映えより味重視の暖地系の中でも、平戸は、この地の土壌や風土に適しているという。
「うちのにんにくは、辛いが旨いよ」
その旨さは、馬渡農園の半世紀におよぶ無農薬、無化学肥料栽培の賜物だ。
重幸さんは、雲仙一帯で「安全な野菜づくり」に取り組んだパイオニアだ。「馬渡さんの野菜は旨い」と評判なのは、農協の指導に頼らず、独自に道を拓いてきたからに他ならない。遠方の専門家に指導を仰ぎながら、「こうしたらいい」と思われることを次々に試してきたという。販売されている肥料は一切使わず、微生物が活発に活動するたい肥をつくる。
「畑じゅうの土に炭ば、入れとる」と重幸さん。
「あん時は、畑で寝ずの番をしたね」と言うのは妻の滝子さんだ。必要な炭をつくるために畑に穴を掘り、炭焼きをしたからだ。炭には、土壌の保水性や通気性を高めたり、ミネラルの供給や土壌菌を豊かにするなど、様々な効果がある。
農薬をつかわない馬渡農園では、自家製の発酵液を葉面散布する。ヨーグルト、納豆、イースト、砂糖でつくる発酵液は、病害虫を防ぐだけでなく、野菜の旨さを高めるという。ちなみに、滝子さんは健康維持のために、毎日、同じ発酵液を飲んでいるそうだ。
案内された作業場では、これ以外にも、いくつかの発酵液がつくられていた。自分で発明し制作した農業機械も並んでいる。重幸さんの試行錯誤は、今も止まらない。
じつは重幸さんは、栽培に失敗する夢を見ることがしばしばあったという。目標が高いから、不安も大きいのかもしれない。でも、最近は悪夢を見る回数が減ってきた。
「昔はあれもやりたい、これもやりたいと思いながらも手がまわらなかった。でも今はできるからね」
理由は息子の孝浩さんの存在だ。父の意志を継いで、自然を味方にする農業を全面的に担ってくれている。安全でもっとおいしい野菜は、親子2代の目標だ。
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