福吉農園を訪れると、必ず立ち寄る場所がある。ハウスから20メートルしか離れていない堤防だ。その上からは八代海を挟んで天草の伸びやかな山々が見渡せる。八代海の別名は不知火海。夏の満潮時には、蜃気楼の一種である不知火が見られる神秘的な海だが、取材時は干潮で、海岸線が大きく後退していた。
「満潮の時には、農園より海面が1メートル以上も上になる。そんな農園だから、塩トマトがつくれるんです」
福吉一浩さん(53歳)はそう話す。
冬の到来を待って取材をした福吉農園では、秋に定植したトマトの収穫がすでに始まっていた。しかし......。
「健菜さんにはまだ出荷できません。出荷するのは糖度と旨みが最も高くなる厳冬期、1〜2月に収穫するものに限っています」
「今年も順調です」という福吉さんに案内された農園は、何の予備知識もなく見学したら、驚くことばかりだろう。農地の所々で塩が吹いている。トマトの葉の小ささ、茎の細さや背丈の低さが気になり、弱々しいとさえ感じるかもしれない。枯れかけている株さえある。
けれど、注意深く目を凝らすと、茎や葉には産毛が密生し、枝に生っているトマトは小さいながら、深紅に完熟して、力強いことが分かる。
厳しい環境で栽培すると作物は、自らの生命力で糖度を高める。それは永田農法の基本だが、塩トマトはその究極の姿、極限のトマトであるとさえいえる。
塩分濃度が高い土壌では根が水分を十分に吸収できず、作物は育たない。けれど、その濃度をぎりぎりに抑え、さらに水やりや温度、養分の葉面散布など、細やかな栽培管理を行うと、トマトの実は他では得られないおいしさを蓄えることができる。実はすこぶる小さい。けれど、果肉の糖度は12〜14度にも達し、海に由来するミネラルや塩分が、独特の旨みを生み出してくれる。
「ただし、収穫は一般の4分の1程度しかできません」
塩は諸刃の剣だ。
以前は塩田だったというこの地に、農地を拓き、そして45年前にトマト栽培を始めたのは福吉一浩さんの両親だった。
「最初は塩害に悩んでいました。収穫量は少なく、実は小粒なので、農協や市場ではB品扱い。お金にならずに、苦労したと思います」
台風の高潮でトマトが全滅したこともある。両親は、塩分濃度を下げるために、毎年、田植え前の田んぼの代掻きのように、農地に大量の真水を入れて土を耕していたという。
転機が訪れたのは約30年前。「こんなに旨いトマトは他にない」とその品質を高く評価する人が現れると同時に、味にこだわる消費者が増えてきたことがきっかけだ。
そして、福吉さんの就農後、家族で、収穫を増やすことは諦めて、『おいしいトマト』ひと筋で行こうと、方針を定めたという。すると、塩は塩害をもたらすものではなく、旨さを生む自然の恵みになった。
塩トマトの栽培には、巧みな技が必要だ。手間もかかる。土づくりも、肥料をすき込んで耕す普通の畑とは異なり、真水での除塩が中心だ。水やりや葉面散布などのタイミングを逸すると、トマトはたちまち枯れてしまう。
「ここに最適な栽培法を追求して、試行錯誤の連続です」
塩トマトは、少量しか生産できないが、これからも福吉さんは、唯一無二のトマトを作り続けるという。
「ここで、私にしかつくれないトマトですから」一つだ。
昨年の3月、有明海に面した干拓地に玉ねぎ生産者を訪ねた。 おいしさの秘訣は「にがり」。でも、それだけ...
贅沢のお裾分け 共働きで高収入の若い夫婦を、パワーカップルというそうです。すると、姪はパワーシング...
昨年の3月下旬、熊本県植木町の片山農園を訪ねた。「ひとりじめ」の収穫開始から4日目のことだ。 1週...
トマトは光が強くて、そして気温が低いとおいしくなる野菜。昨秋は気温が高めだったので収穫開始が前倒し...