熊本県宇城市は冬でも晴天率が高く、キラキラと海が陽光を反射し、街全体が明るい光に包まれています。ここは八代海の最奥部。一帯は数々の野菜や果物の名産地として知られますが、中でも冬から春には全国的にもかなりの生産量を誇るトマトの産地としてその名を轟かせています。
だから周辺では高糖度トマト、フルーツトマトを謳うブランドトマトが目白押し。そんな、いわばトマト激戦区の中で、ひと際特徴的なトマトを育てる人がいます。健菜塩トマトの福吉一浩さんです。なぜ「塩」トマトなのか。その理由は、福吉さんのハウスに行けば一目瞭然です。
福吉さんのハウスは、海岸からわずか20メートルほどの場所にあります。近くの堤防から干潟を見下ろすと、ムツゴロウが元気に飛び跳ねる姿が見られます。
ここは16世紀末に、名君・加藤清正公によって一大干拓事業が行われ、以来、製塩がさかんな土地でした。
「父が子どものころまでは塩田があったそうですが、昭和30年頃には姿を消し、メロンやトマト栽培が始まったと聞いています」
さてここで、塩トマトのしくみをご紹介しましょう。
ハウスの周囲は、井戸を掘っても塩水しかでない土地柄で、土壌にも地下から海水が浸透しています。
塩分濃度の高い土壌では、トマトの根が焼けてしまうので、水や栄養分を十分に吸収できず、ともすれば枯れてしまいます。でも、上手に調整してあげると、必死に生きようとするトマトに生命力がみなぎり、その分、味が凝縮されるのです。さらに海由来の豊富なミネラルもトマトに蓄積されますから、普通の高糖度トマト以上にずっしりと重く、全く違った旨みが味わえます。
「いわば塩害のようなものなのですが、これが塩トマトの秘密です。収穫量は驚くほど少ないのですけれど...」
福吉さんの塩トマトは、ピンポン球を一回り大きくしたくらいのサイズが主体です。品種は桃太郎なので、本来なら大玉になるはずです。
「わざと小さく作っているわけでなく、ここでは大きくなれないのです。トマトにとってこの土地は相当に厳しい条件。私は毎年6000本の苗を植えるのですが、そのうち1割は途中で枯れてしまいます。ひどいときはそれが2割になることも...。トマトも必死で生きているし、私も必死で手をかけています」
毎日、樹の状態を観察し、塩が強すぎるなら水をやり、根が弱っているようなら酸素剤をあげたり、葉面散布をしたりと、厳しい環境と闘うわが子を手当するように育てます。
それでも樹の成長は遅く、収穫までの日数も一般のトマトの倍以上、高糖度トマトとくらべてもかなり長くかかるとのこと。
土の作り方も独特です。ここでは苗を植える前に必ずやらなければならないことがあるのです。
「初夏に収穫が終わると、川から淡水を運んで代かきをします。土壌の塩分濃度をうすめるため、畑を水で洗って塩を落とすんです」
代かきをしていないハウスの外の土を見ると、塩分濃度が高くなりすぎて、塩をふいているところすらあります。
「平成11年、熊本に上陸した台風18号の時は、うちも甚大な被害をうけて、ハウスは高潮で全滅しました。あの時の父の落胆ぶりは見るに耐えなかったですね...」
そこから父・浩さんは一念発起して、ゼロから土壌を整え、ハウスを再興。すると前よりも品質があがったと評判になったのだと言います。
「諦めずにこの土地と向き合ってきたことが、いまのおいしさにつながっているのでしょうね」
塩トマトは、まさに、海とともに生きるトマト。厳しい土地で、力強く生き抜くトマトです。
そして、その力強さはおいしさの証。収穫序盤から糖度は9度にも達し、ピークを迎える厳寒期には12度になることもあるのだとか。ゼリー分にはしっかり旨みと酸味があって濃厚、果肉は締まって食べごたえがあります。
今年は野菜のコースでお届けするだけでなく、頒布会でもご用意しています。締め切り間近ですのでどうぞお見逃しなく!
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