「おいしく」を貫いた 30年目の技ありトマト

渥美半島に、健菜トマトのおいしさを支え続けている生産者がいる。
生産が激減しているファースト種一筋の名人だ。
  春、いよいよ健菜トマトの旬がやってくる。  その生産者のひとり、小久保敏広さん(65歳)を訪ねたのは、収穫まで1か月というタイミングだった。農園があるのは渥美半島先端部・伊良湖岬に近い丘の上。岬に立てば、遠州灘、伊勢湾が一望できる黒潮の地だ。

農園で深呼吸

「ファーストトマトの栽培を始めたのは35歳の時ですから、もう30年続けてきました」
 そう言いながら、小久保さんが案内してくれたのは、光にあふれたガラスハウスだ。中はトマト独特の清々しい香りに満ちていて、思わず深呼吸をしたくなる。
 そのトマトの茎は整然と整えられ、葉はパリパリと張りがある。茎も葉も実も黄金色の産毛におおわれ、淡い光を発していた。
 職人技を極めるという表現は手工芸の世界にはあるが、自然を相手にする農業の世界にも、それはある。
 それが、この農園だと思う。
「いつ来ても見事ですね」と言うと、小久保さんは照れた。
「そうかなあ。わたしは、このやり方しか知らないからね」

 桐箱入りの高級メロン栽培から、永田農法による健菜トマトの栽培に切り替えた小久保さんは、最高級メロンを扱うように、トマトを育ててきた。それは、繊細で行き届いた栽培管理の賜物だ。
「例えばこれとこれだと、日差しと水はけが違う。だから水やりの仕方を変えています」
 そう言いながら、指さした2本の樹は、土の高さこそ違うが、30センチと離れていない。小久保さんには、それぞれのトマトの個性や欲しているものが分かるのだろう。


高い特選比率

「最初から、上手にできたわけじゃありません。でも、年々、特選クラスの比率が増えて、それがトマトを作る醍醐味だったと思います」
 特選とは糖度9度以上のトマトのこと。永田農法のベテランでも特選トマトは全体の2割程度だが、小久保さんは4割にも達する。しかも、健菜向けには、糖度10〜12度といった逸品を出荷してくれている。
 じつは、渥美半島には、同じファーストトマトを始めた数人の仲間がいたが、今、続けているのは二人だけ。特選トマトの比率が上がるのは至難なので、続けられず諦めた生産者もいる。
「ライバルがいないのは、さみしいですね。自分のトマトに満足してしまうと進歩しなくなってしまうし...」
 じつは、小久保さんの技術があれば、トマトの糖度を6〜7度にとどめ、収穫量を2倍にするのは難しくはない。現在は水を絞り、肥料を絞り、ハウス内を加温しすぎずに低温を維持して、果肉をギュッと引き締めている。だから収穫までに通常より20日も長くかかり、収穫期間は1か月も短い。
 その果肉の引き締め方のさじ加減も、小久保さんは分かっている。それを緩めた方が経済性は高いに違いない。
「そうかなあ」
 小久保さんはそう言ってから、少し考えた。それから次のように言葉を続けた。

「もし、トマト専業だったらそうするかもしれない。でもうちは、ブロッコリーやカリフラワーも作っているし、花も栽培している。だからトマトは『おいしいね』と言われるものを作りたい」
 小久保さんはこうも言う。
「おいしい、と言われることが何よりうれしい」
 小久保さんの目的は、30年間変わらない。そのゆるがない心が、皆様にお届けするトマトには込められている。


空の下でのびやかに

 トマトハウスの取材を終えた小久保さんは、大急ぎでブロッコリーの収穫に向かった。雲行きを見て、雨が降り始める前に収穫を終えようというのだ。
 海からの強風にさらされながら成長した露地栽培の野菜を、小久保さんは「どこよりおいしいブロッコリーだよ」と自慢する。それを奥さんとお母さんは「お父さん、言うねえ」と笑って見ている。
 空の下に広がるのびやかな農園も、小久保さんの職人技の舞台だ。



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