たくましさを増す若い生産者とすいか栽培

「熊本県熊本市、内田智浩さんの農園を訪ねる」
熊本は日本一のすいか生産地である。 金峰山の東麓にある内田智浩さんの農園では、4月末から5月が収穫の時期。 その出荷とともに、健菜倶楽部にもすいかの季節がやってくる。

 昨年の5月、取材チームは熊本市北部、金峰山の麓にある内田智浩さんの農園を訪れた。2007年に本紙で紹介して以来、4年ぶりの取材訪問である。
 内田さんの印象は、驚くほど変わっていた。
 口数は少ないが、その口調は、青年らしい一本気なものから、ベテランのゆとりを感じさせる落ち着いたものへと変化。内田さんは専業農家の道を選んで11年目、35歳になっていた。

4年ぶりの園地訪問

 4年前、「栽培歴20年を超す親父は、すいかのプロ。職人です」と語っていた内田さん自身が、今やプロ中のプロだ。
 父の康喜さんは、永田照喜治氏が認める栽培技術の持ち主だった。けれど、その良質なすいかは、農協で他の品質が劣る果実と一緒くたにされて市場に出荷されていた。

 その現実を前に、「農業を続けるために、僕たち若い者が賢くならなくては」と語った内田さんにとって、健菜倶楽部への出荷は、その道への一歩でもあった。それから、倶楽部のメンバーを納得させるだけの品質を維持し、さらに健菜の果実頒布会の一つに選ばれる水準に達して、父に劣らない技術の高さを証明してきたのだった。
 熊本すいかのブランド基準は糖度10・5度だが、内田さんの果実は13・5度を下回ることがない。甘いだけじゃない、包丁をいれた時の香りも、かじった時のシャリ感も逸品である。

おいしいすいかはまん丸じゃない

 内田さんは、1月に苗を定着。必要に応じてハウス内は加温するが、やや低温を保ちつつ、ゆっくりと成長させていく。すいかの原産地は砂漠地帯。だから、湿度が高い夏に栽培するより、冬のほうがおいしく育つ。ただし、栽培管理は気がおけないし、手間もかかる。
 2月から3月にかけて、花が咲くと、受粉作業に取りかかる。寒くてミツバチが飛び回ってくれないので一花ずつ手作業で、受粉をさせていく。たくさんの花が咲くが、まめに摘花をして、最終的には、1株に1果だけを残し育てる。
 着果が確認されると、そこに着果棒を立てるのは、母の百合子さんの仕事である。着花棒は7色あって、日付が分かる仕組みだ。一般に、すいかの収穫は、大きさを目安に一斉にされることが多い。それでは果肉の塾度も品質もバラバラになってしまう。しっかり塾度を把握するには、着果棒が欠かせない。

 通常は着果から41〜42日程度が収穫適期とされているが、内田農園では2〜3日長く、ゆっくりと完熟を待つ。
 農園を案内しながら、「おいしいすいかはまん丸じゃないんです」と内田さんは言う。
 肥料や水分を減らして、果肉の味を濃く、緻密な身質にしていくと、すいかの姿も剛直になる。永田農法のトマトは糖度や栄養価を増すと同時に、ごつごつした姿になるが、すいかでも、注意深く見ると同じような現象が起こるという。
 4年前には「甘いだけじゃなくて、おいしいすいかが作りたい」と話していたが、さらに「中心部も、外皮に近い部分も同じように高糖度で、シャリ感のよい果実にしたい」と新たな栽培目標も加わっていた。内田さんのすいかは、まだまだ進化する。

メロンは少量でも良品を

 内田さんは、3年前からメロンの栽培も始めている。栽培量をごくわずかに絞っており、品質が高いと評判だ。
 品種は、すいかシーズンが終わる6月から収穫が始まる「オルフェ」という青肉系のメロン。「アカホヤ」と呼ばれる水はけの良い火山灰の土壌、早春から降り注ぐ強い日差しなど、適地の環境に恵まれている上、すいか栽培で培った技術と、多くは1株2果取りのところを1果に抑えるなどして、内田さんならではのメロンを育てている。
 取材時は、収穫まで1か月近くあったが、メロンの外皮にネットが細かく均質に張り巡らされて、柔らかくとろけるような果肉が育ちつつあることが現れていた。
「見事な出来じゃないですか」
 そんな会話が交わされる取材風景を見守っていた母、百合子さんに「じつはね」とそっと耳打ちされた。
「今年から、お父さんに代わって、智浩が農業主になったの。私たちは、今は息子から、お給料をもらっているのよ」
 その口ぶりはうれしそうだった。たくましい息子が誇らしそうでもあった。
 親から子へ、名人の技術が伝えられると同時に、農園の未来も託された。健菜倶楽部では、若い生産者の未来を応援していきたいと考えている。

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