森野裕年さんの農園は、瀬戸内海に浮かぶ生口島にある。絶景の地だ。何しろ、サイクリング愛好家が雄大な景色を目当てに世界中から訪れる、しまなみ海道の中継地なのだから。
ハウスみかんの収穫を始めていると聞き、農園を訪れたのは昨年の6月中旬。残念なことに朝から空模様が怪しく、途中、島々を結ぶ橋の勇姿に見とれる余裕がない。案の定、待ちあわせ場所のレモン畑に到着すると、激しい雨が降り出した。潮まじりの強風も吹き付けてくる。
「こんな日があるから、一年中、農園を留守にできません」
そんな森野さんの言葉から、取材は始まった。
案内されたハウスは雨対策を終えていた。通常は開け放している壁のビニールはすべておろし、密閉状態にしている。屋根を打つ雨音は轟音だが、ハウスの中は無風で爽やかだ。
みかんの重みで見事なまでに垂れ下がっている細い枝を、天井から吊り下げられた紐が支えていた。その葉は厚く張りがあり、乾燥気味だ。
「4月末から水は一滴も与えていません」と森野さん。
森野さんは収穫前の60日間、ハウス内の灌水をゼロにする。大胆だ。その間に青い実は黄色く変わっていく。実は大きく膨らむこともなく、皮は果肉にぴたりと張りついたままだ。一方で、果汁は濃厚さを深め、完熟を迎える。
「でも、収穫するのは完熟の一歩先。完紅みかんです」
果皮が赤みを帯びた「完紅」は、おそらく森野さんの造語だろう。森野さんは、果実流通のプロに、柑橘の一流生産者として一目置かれている存在。そのこだわりが、完熟を超える何かを「完紅」という言葉で表現していた。
「ハウス栽培では、人間が植物の生理をコントロールすることができる。手をかければかけるほど、おいしさになって返ってきます」
では、その栽培方法は?
「露地ものとは、季節が半年ずれています」
ハウスみかんの花が満開になるのは12月末だ。真冬にハウスの中は春の盛りを迎える。それから、加温するだけでなく、ほどよい寒さに当て、水やりを調整しながら時間をかけて、結実した実を成長させていく。収穫を始めるのは6月。厳しく摘蕾や摘果を行うので、収穫量はふつうの3分の1程度だという。
「収穫が終わったら、水をたっぷりと与えます」
同時に、森野さんは剪定を始める。露地栽培では冬に行う作業だ。
「真夏だけに、これがキツい」
樹には次の年の芽が顔を出しているが、そのどれを残すのかを見極めるところに、森野さんの技が発揮される。
「昔は人手を借りて2日で終わらせましたが、今は一カ月がかりで、自分独りで行っています」
つづく秋には、新しい土を入れ、酵素を補う。
「疲れた樹をねぎらい、活力を取り戻してもらいます」
水や肥料は抑える一方で、必要な時に十分に樹をいたわるのは、長年働いてくれる果樹との付き合い方の基本だという。
「30年間、色々工夫して、自分なりの栽培法ができてきました。まだ、"これで満足"ということはありませんが」
この日、試食したハウスみかんは素晴らしくおいしかった。とにかく果汁が多い。内袋はとろとろだ。糖度は......。じつは「おお!」という数字だったが、「糖度の数字ばかり謳いたくない。書かないでください」と森野さんに釘を刺されたので報告ができない。残念!
「私は、100個に1個しかできない究極のみかんをつくりたいわけではありません」と森野さん。
「毎年、100個が100個、『おいしい』と言ってもらえるみかんを食べてもらいたいと思っています」
その言葉どおり、森野さんのハウスみかんは、毎年、極上の香りと甘さで夏の喉を潤してくれる。どれもこれもおいしい。そのお届けは間もなくだ。
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