愛媛県宇和島市中心部から1時間弱。遊子水荷浦は宇和海に面した小さな岬の突端にある。一帯は海を複雑に刻むリアス式海岸で、岬には山が迫り、人々が暮らすのは海との狭間のわずかな平地に限られている。
ここを訪れる人はみな、その異様とも思える光景にまず驚くことだろう。海へ向かう岬の山肌は、てっぺんまで幾重もの階段が続き、その側面は石垣に覆われている。目を凝らせば、その階段のすべてが畑であることがわかる。この階段畑を、地域では段畑と呼んでいる。
「遊子水荷浦の段畑」は宇和海の美しさと相まって、日本農村百景等に選ばれる景勝地だ。半農半漁という宇和島の原風景が垣間見える、歴史的価値の高い場所。国の重要文化的景観にも指定される。
健菜倶楽部では、昨年5月にこの「遊子水荷浦の段畑」のじゃがいもをお届けし、多くの方からご好評をいただいた。新じゃがだというのに糖度が高く、水っぽさはまったくなし。粉質が強くホクホクとしてすばらしい美味だ。そのおいしさの背景には、遊子水荷浦の歴史と、今を守る生産者、そしてその支援者たちの存在があることを忘れるわけにはいかない。
遊子水荷浦の段畑の誕生は、江戸時代に遡る。平坦地が少ないリアス式海岸の地形では耕作地はわずかなもの。そこで斜面下部、集落に近い場所を開墾し、雑穀など日々の食糧を得たのが始まりとされている。江戸後期になると、段畑は一気にてっぺんをめざしていく。人口が増え、さつまいも生産も始まって、耕作地を増やす必要が出てきたのだ。段畑は石垣で固められ、強固なものになった。
しかしトロッコも何もない時代、石垣の石は一つ一つ下から運んで積み上げたものだ。その労苦はいったいどれほどのものだったのだろう...。
「壮観な風景でしょう。でも私たちはこの段畑に、郷里に対する愛情とは別に、複雑な感情も持っているんですよ」
そう話してくれたのは松田鎮昭さん。NPO法人段畑を守ろう会の理事長をつとめ、段畑保全に力を尽くす人のひとりだ。
一枚の面積が狭く、最大42度もの傾斜を上り降りする段畑は、生産の面から見れば全く非効率で、生産者の高齢化問題とも絡んで、近年耕地の放棄が進んでいた。現在営農しているのはたった7軒。段畑だけでは生計が立たず、他に仕事を持つ人がほとんどだという。
当然、段畑は放棄されれば石垣が崩れ、たちまち荒れてしまう。今もこの景観を保てるのは、地元有志が集まってNPOを立ち上げ、保存活動してきたからにほかならない。
「じゃがいも栽培が始まったのは、昭和30年ごろのことでした。戦後食糧難の時代、貧しい漁村が貴重な現金収入を得るために始めたことです。私が幼い頃には、肩に大きな荷こぶをこさえた人が汗を流していたのを強烈に覚えています」
今は斜面にレールが設置され、重い荷物はトロッコで運ぶのだが、かつて運搬手段は天秤桶を担ぐしかなかった。山盛りの桶を担ぐ肩には、当然負担がかかる。力仕事を担った男衆の肩には大きなこぶができたという。
段畑について言及した言葉に「耕して天に至る。貧たるや推して知るべし」というのがある。日清戦争後に来日した清国要人が段畑を見て評した言葉とされ、人々の清貧なくらしぶりと勤勉さを知ったと伝えられる。地元の人々にとって段畑は、美しいだけのものでなく、苦難の記憶でもあるのだ。
とはいえ人々は、このじゃがいもが特別であることを知っている。段畑でなければ出せない味だからこそ、残った数軒の生産者たちは労苦をいとわない。
段畑の歩道を歩くと、作業中の方々が気さくな笑顔で迎えてくれた。みな、このおいしさを守ることに誇りをもって、仕事に精を出しているのだ。
現在この段畑では、じゃがいもとさつまいもの二毛作を行なっている。晩秋に植えたじゃがいもを春に収穫し、初夏に植えたさつまいもを秋に収穫するのだ。永田照喜治氏の子息で、健菜の生産を担当する永田まこと氏によると、
「段畑の下はガラガラの礫。しかもこの傾斜で、水はけのよさはこれ以上ない理想的なものになっています。さらにここでは水を一滴たりともやらない、天水のみに頼った栽培をしている。こんな凄まじく厳しい環境で育つじゃがいもが、甘くならないわけがないんです」とのこと。
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