甘く若やいだ、茶の香り

茶
毎日いただくお茶だから、安心して飲める、自然に育ったものを

健菜玉緑茶の際立った個性は健やかさ・・・。
水の色は透明な山吹色。香りは高くて、渋くなく、ふっくらと甘い。飲んだ後は、さっぱりとした清涼感が残る。このお茶は、太田重喜さんと永田農法との出会いから生まれた。

不可能と言われた無農薬栽培

太田重喜さんが住むのは佐賀県嬉野町。樹齢340年、国の特別天然記念物に指定されている嬉野大茶樹の存在が、この地の茶葉栽培の歴史を伝えている。太田家も明治以前から茶栽培にいそしみ、嬉野茶の礎を築いてきた。不幸にも小学5年生で父親が他界し、太田さんは無我夢中でこの家業を続けたという。

じつは太田さんには、10代から20代前半までに、農作業で使用した農薬の薬物中毒で7回も倒れるという経験があった。その時「お茶は本来、薬として飲用されていたのに、これでは本末転倒ではないか。少なくとも自分は、消費者が安心して飲めるお茶を栽培していこう」と考えたのだった。その日から、太田さんは、学校で学んだ植物生理学の知識と、自分の経験をプラスして「化学合成の殺虫剤・殺菌剤・除草剤を一切使用しない農業」に乗り出した。

無農薬栽培はたやすいことではない。特に茶の若芽には虫がつきやすいし、美しい緑色が不可欠なため、今日でさえ「茶葉の無農薬栽培は無理」というのが常識。周囲は太田さんを無謀だと見ていた。

しかし、昭和53年、転機が訪れる。この年、太田さんは念願の無農薬栽培をはじめようと考えるのだが、時を同じくして、永田照喜治さんを知るのである。会ったその日に、互いの頑固者ぶりに共鳴したと太田さんは言う。永田さんの「自分の完成を磨け、本質を見抜け」という言葉は、その後の茶栽培の礎になった。

珠玉の茶葉を嬉野茶伝統の製法で


永田農法を取り入れた太田さんの茶畑は一目でそれと分かる。除草剤を使わないから地面が草だらけ。肥料が少ないので、茶葉の緑色が薄く、光のベールに覆われているからだ。標高300~500メートルの、山の急斜面に築かれた茶畑は、朝夕の霧がたっぷりとかかり、昼夜の寒暖差は10度以上。西日もさす。農作業は辛いが、ここでは最上質の茶葉が育つ。

茶葉は摘んだら、その日のうちに荒茶に加工され、その後、「仕上げ屋さん=茶商」に渡り、製茶・ブレンドされるのがふつうだ。しかし、太田さんは荒茶作りから製茶・ブレンドまで、全て自分たちで行う。

つまり、自分の理念を貫き、安全でそしておいしさの頂点を目指したお茶を作っているのだ。ちなみにその製法は、嬉野茶伝統の釜炒り法を取り入れたムシグリ法。高温の蒸気で茶葉の発酵を止めるが、ふつうの煎茶のようによりをかけて真っ直ぐにはせず、熱風で乾かすため曲球のように丸く仕上がるため玉緑茶と呼ばれている。

またこの製法の場合、お茶本来の深い旨みと甘みを引き出すためには、一定の熟成期間が必要となる。だから新茶の時期であっても、熟成させた茶葉を太田さんが自らブレンドして、香りと甘みを両立させている。

健菜倶楽部では発足間もなくから、大田さんに特別なお茶の生産を依頼した。今では、お茶は健菜に限ると言ってくださる方も少なくない。



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