有明の風と光が育てた 春のきゅうりがやってくる。
健菜通信:今月の特集

有明の風と光が育てた 春のきゅうりがやってくる。

2016年04月02日
有明海に近い田園地帯にある農園にきゅうり栽培一筋のベテラン、
鶴悦巳さんを訪ねた。

  3月になると、佐賀県嬉野市の鶴悦己さんの農園から、きゅうりが出荷されてくる。収穫期間は長くても6月まで。春が旬のきゅうりだ。
 その特徴は、圧倒的なみずみずしさと、香りの高さ。ポキンと折ってみると、爽やかで澄んだ香りが、数メートル先まで漂うほどだ。
 味は渋味がまったくない。そして、微かな甘味さえ感じられる。
「糖度は測ったことがないんです。時々、同じように褒めてくれる人はいるけれど」


 それから鶴さんは、こう付け加えた。
「わたしは色々なことを試しているので、他の生産者さんとは、ちょっと味がちがうのかもしれません」

栽培歴45年目の初心

 農園がある嬉野市塩田町は、多良岳山系の裾野にあって、有明海に近い田園の町だ。田んぼと小麦畑におおわれた伸びやかな平野を、「暴れ川」と呼ばれた塩田川が流れている。
 ここで、鶴さんは幼い頃から家のきゅうり栽培を手伝ってきた。本人が本格的に栽培に取り組んでからは45年になる。
「自分の作物に納得できるようになったのは、20年目ぐらいからかな」と鶴さん。
 振り返れば、これまで色々なことがあった。
 昔は、油をしみ込ませた紙でトンネルを作り、きゅうりの苗を作った。ところが露地に定植した直後に、霜が降りて全滅したこともある。満潮と大雨が重なり、塩田川が氾濫したときには、畑は膝の深さまで水に沈んだ。
「最初のハウスは木骨で、連作を避けるため、毎年園地を移動させたものです」

  今では鉄骨の立派な施設になり、霜害も防げる仕組みになっている。防虫ネットも万全だ。ところが数年前には、はじめての酷い病虫害を経験した。おそらく、異常といえるほどの悪天候が続いた末の日照不足が原因だろう。 「百姓は毎年1年生」  鶴さんは、改めてその言葉を噛みしめたという。

きゅうりの声を聞く

 鶴さんのハウスには、しばしば、地域の生産者が研修のためにやってくる。塩田町はきゅうり栽培が盛んで、鶴さんは、その生産者仲間の代表だったことがあるからだ。
 ハウスに入った仲間が、「やっぱり、いいな」と感心するのは、ひと目で分かる樹勢のよさだ。葉も実も瑞々しくて張りがあり、元気なのだ。そして爽やかな香りを放っている。
 きゅうり栽培の最大のポイントは肥培管理にあると、鶴さんは考えている。
 肥料は有機を使い、土に稲わらや麦わらをすき込んで土壌を改良している。灌水には糖分を少し加え、旨みを高めるミネラル分は葉面散布で補っている。
 でも、基本は肥料を与えすぎないことだ。

「農業はとにかく先手先手が大切。明日やろうと思ったらだめだよね」
 そう言う鶴さんの手は、取材の間もいつも動いていた。脇芽を摘み、余計な葉を落としながら、選んだ茎を光に向けて誘引していく。それは、間もなく収穫する実のためでなく、脇芽から育ってくる子世代、孫世代の実のための作業だ。
 こんな先手の作業の積み重ねこそ、おいしい野菜を栽培する基本なのだろう。
「でも」と鶴さんは言う。
「もっと、きゅうりの声が聞けたらどんなにいいだろう」
 まだ、自分の農業に満足してはいないのだ。
「『水が欲しい』というのは分かる。でも、どれぐらいか、栄養はどうか、光はどうか、求めていることを詳しく知りたい」

じつは、65歳を過ぎて、鶴さんは生産者仲間や集落の様々な「役」を引退し、作物にじっくり取り組む時間ができた。きゅうりの栽培面積は、壮年の頃の半分に減らしたが、それだけに、きゅうりの声に耳を傾ける時間が増えている。
 その味はさらに進化しそうだ。

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