健菜通信:今月の特集

「味を極める」を重ねて25年。 健菜の米作り、始まる。

2016年06月01日
田植えシーズンを迎えた新潟県吉川区。
3人の生産者たちを訪ね、その思いを聞いた。

生産者一の理論家としての取り組み/山本秀一さん

「切り返してやり直せ」
 畦道から山本秀一さんは、田植機に指示を出した。運転しているのは長男の亮さんだ。
「よし、このまま真っ直ぐ」
 田植機が前進すると苗が植え付けられ、6列の美しいラインが描かれていった。5月14日、健菜米コシヒカリの田植えが始まった。
 この日は東京と大阪から、亮さん・寛さん兄弟が、会社を休んで手伝いに来ていた。父子3人は、田植機、苗の積み込み、田んぼのならし(でこぼこになった表面を平らにする)と作業を分担し、田植えを進めていく。一方、母の久美子さんは手植えの担当だ。機械では植えられない場所に苗を植えていく。みな段取りがよく、共同作業の息はぴったり。

「僕たちは初心者。田植機の操作は1年に2〜3日だけだから、翌年には忘れてしまう」と寛さん。「でも、田植えの時ぐらい、父を助けなくてどうすると思っています」と、兄弟は口を揃えた。
「若い頃は気付かなかったけれど、父の研究熱心さには頭が下がります」とも言う。
秀一さんにとって、今年は25回目の健菜米作り。
 永田農法に出会い、「無肥料で米を栽培する」という命題に、生産者一の理論家として取り組んできた秀一さん。その農法は経験を重ねて磨き抜かれ、精緻なものへと進化してきたが、それでも、「まだ、やるべきことはある」と考えている。例えば、異常気象への対応、食味の上げ方、それに自分だけでなく健菜米生産者全員のレベルを上げることも大きな課題だ。今春、吉川の永田米研究会会長になった秀一さんは、健菜米コシヒカリが、その「おいしさ」で抜きんでた存在であり続けるために、緊張感とともに米作りを始めていた。


おいしさとは何だ/中嶋巌さん

 同じ頃、中嶋巌さんの田んぼでは代掻きが始まっていた。代掻きを終えると、1週間以内に苗を植える。
 巌さんは、息子の琢郎さんに農業を任せて「引退を決めた」という。ただし、永田農法の田んぼは別だ。
「ここだけは、自分が納得のいく米ができるまで、作り続ける」と宣言する。じつは巌さんは、45年間米を栽培してきて、自分の米を「これはすごい」と思ったことは、2回だけだという。
「記憶に残っている味は、時間ととともに美化されてきたのかもしれない。それでもあの味を越えたい」
 具体的にはどんな味なのか。 

「食べた瞬間に『おいしい』と感じる味では不十分。一膳食べ終えた時に、しみじみとおいしさを感じ、もう一口食べたいと思える米かな」
 それは食味値といった数字で測れるものでも、減農薬・減肥料の割合で決まるものでもない。それを超える「何か」がある。その「何か」を探して、巌さんの米作りはスタートした。

生態系と安全/中村昭一さん

 

 標高の高い中村昭一さんの棚田は、畦の草刈りに追われていた。水を張ったまま越冬した田んぼ(=冬水田んぼ)では、これから田植えまでに、水もれを防ぐための畦塗りや、代掻きなどの作業をしていく。
苗床では、葉の姿からは想像できないほど、みっちりと根をはやした苗が育っていた。苗半作というが、育苗も順調。「あと10日で、田植えです」。

 その中村さんが、もっとも高い関心をもっている課題は「安全」だ。
中村さんは田植え後、苗の間に生えた雑草を手で1本1本抜く。目に見えず数字にも現れない「安全」を自分の手が担っているからだ。冬水田んぼで小生物の命を繋ぎ、土壌中で働く菌を活性化させる。その結果、無肥料栽培が実現する。
生命にあふれる棚田の生態系を守ることが、米の安全につながる。
 安全を極める。それが中村さんの米作りだ。
健菜米の生産者は、農法を共有しつつもそれぞれに高みを目指していた。収穫の秋に期待したい。

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